仕事を辞めた話

半年前から、仕事中お腹が痛かった。

多分胃なんじゃないかと思っていた。

もともとお腹の調子が良いことが無いような人間なので腸かもしれんなとも思ってた。

常に感じるプレッシャー、緊張からくるものだともわかっていた。

特に忙しい15時前後に痛くなっていたのが、だんだんと午前中からずっと痛かったり、痛いわけではないが違和感みたいなものをずっと感じるようになった。

そしてとうとう、仕事の日は朝から、起きた時から、もしくは寝る前から、っていうかずっとお腹が痛かったり違和感を感じるようになった。確実に精神的なものに起因するものだと思った。腹が痛い以前に、もうとにかく限界は超えていた。仕事に行きたくない、と思いながら毎日行っていたけど(これは普通の会社員は皆そうなのかもしれないし、前職のときも毎朝そう思っていたけれど)本当に限界が来た。絶対に仕事を辞めようと思った。

(このブログを読み返してもずーっと仕事を辞めたいと書かれてあるしtwitterも同様だ。)

3月13日木曜日…なはず。とりあえず流石にこの腹痛が大病によるものだったらヤバいので、仕事を休んで病院に行った。大きい病院へだ。職場に電話をかけた。

正直精神的に参っており、腹だけでなく全体的に体がだるく、恐怖感や緊張感で思考もぐちゃぐちゃだったが病院で待ち時間を耐え、CTと胃カメラ(人生初。キツかった)、あとピロリ菌の検査までやったがとりあえず診断は「軽度の逆流性食道炎」。胃薬をもらったが、医者は「薬出しますか?仕事に支障出てる~とかなら出しますが…」くらいのテンションで、つまりそれくらい食道炎は「軽症」だったようなのだけど、こっちとしては限界だったので薬をくれと言った。

病院行ってる間もガンガン職場から電話かかってきてて無視してたが、覚悟を決めて電話して結果を報告、ただ自分としては症状に変化は無かったので明日も休みたいと言って、たまたま土曜は休みだったので「とりあえず4日間ゆっくり休んで来週からまた来いよ」みたいな優しい言葉をクソ上司からかけていただいたが、今更優しい言葉をかけて頂いても遅いわ、と思ったし、ここで「辞めます」とは言い出せなかったけど絶対に月曜から出勤はしないと決意した。他の人には簡易的な引き継ぎを電話で話して、ここでもう俺がいなくても大丈夫だなと思った(俺がある程度いなくても、(優しいほうの)上司がクソ忙しくなるけどなんとか回るのは実証済み)(いや、回ってないんだけどね)。

3月14日金曜日。「もう来週から仕事いきません」とは、どうしても職場に言えなかった。揉めるのも嫌だった。以前から考えていた退職代行を使うしかないと思っており、実行した。退職代行には弁護士事務所が行っている代行と、そうではない代行があるらしく、前者のほうが万一トラブルが起きた場合にも対処できるようだったのでそちらにした。後者はただ退職の意思を伝えるだけなので、万が一揉めた場合交渉力が無いらしい。退職代行には3万ほど払わなければならないが、残っている有給(7日ほどあったらしい)も出るようだったのでまぁいいかと思ったし、これも勉強代だと考えた。とにかく、いち早く辞めないといけないと思ったしクソ上司と一言もしゃべりたくなかった。

ただ、退職代行に昼ごろ電話して、その日即日で会社に辞める意思を通達してほしかったのだが、手続きや金の振込みにある程度時間はかかってしまい、代行の弁護士事務所から「これこれこういう書類(書類は写メで送った。そういう時代よ)を確認したからいまから会社に通達するね」という返事が返ってきたのが18時頃になってしまい、会社の人事部はもう帰ってるだろうな、たまたま土曜も休みの日だから通達は月曜日になってしまう、つまり月曜の朝に会社からガンガン電話かかってくるだろうな、と思ったし実際そうだった。耐えた。そこを耐えればあとは楽だった。

ちなみに、退職代行業者とPCのメールでやりとりすることを選択しておいて(俺は)良かった。LINEで、という選択も出来たのだがPCのほうが俺は良かった(って今思えばLINEもPCで使えば良かったのか)。

 

腹の痛みについては、心療内科とか精神科とかそっちに行くべきなんだろうなと思いつつ、処方された薬を数日飲んでいたらおさまった。数日食欲は無かったし、食べれるようになっても脂っこいものとかを控えてた。結局「仕事を辞めた」からおさまったのだろう。

 

 

忘備録として、以下、振り返ろうと思う。

 

この職場にいたのは2年と数か月だった。

2年しかやってないから、というのもあるが、給料がめちゃくちゃ良いわけではない(精神を病んだ割には)が金銭的に余裕が出来てバンドをやったり、車を中古だけど買い替えることが出来たので悪い事だけでも無かったのかもしれん…。今更イフを考えてもどうしようもないのだが…。

実はこの仕事を初めて2~3ヶ月の時点で「辞めます」と当時の上司に言ったことがある。仕事内容も仕事量も人間関係も、俺には向いてないと思ったからだ。2~3ヶ月で既にやられていたのだ、いま思えば。

そのときは「いまは年末で、一年の中で一番の繁忙期だからここを越えれば楽になるよ、あなたは一番大変な時に入ってきたから。」みたいな言葉で引き留められ、俺も「2~3ヶ月で向いてないと判断するのは早計だな」と考えてとりあえず続けることにしたが、年を越えても、仕事量は確かに減ったもののそれでも自分でやって行ける気がしなかった。毎日ミスが発覚し、営業の人に怒られて「本当にいい加減にしてくれないとこっちも仕事にならない」とまで言われたし、それだけではなく、とにかく、ここでは「現場」と書かせてもらうが現場の一番偉いヤツが酷かった。この人が前述した「クソ上司」である。「この人が原因で何人も辞めている」と聞いていたが、自分はそういう人とも、誠意を見せればまぁ上手くやれるだろ、と思っていた。前の職場では、キツいパートのおばちゃんや好き嫌いが激しい先輩の中を取り持ってバランサーとして自分ではやってきたつもりだったから(まぁ、それに疲れて辞めた、みたいなところが3割くらいあるけども)。でも違った。突然キレられるので「???」となるし、上手く言葉を返せなかったら電話ガチャ切りされるし、こちらからかけ直しても切られたりするし、メチャクチャ機嫌悪そうな感じで対応されるし、無視されるし(いい大人が無視するか?)とにかく機嫌によってこちらの仕事が左右されるのがキツかった。去年の夏ごろは毎日怒鳴られており、委縮してしまった。いや、正確に言うと萎縮→麻痺してヘラヘラする→呼び出しで真面目な説教を食らう→緊張→でもミスしたり理不尽な理由で怒鳴られる→萎縮のループ。この人に対しての最悪な思い出はいくらでも出てくるし書き残しておきたくもないけれど…。また、俺は人に正確な内容を伝えようとすると回りくどく説明してしまうことがよくあり、若干自覚もあるのだが、それが気に食わないらしく何度も「お前の言ってることが分からん」「こういう順番で端的に喋れ」的なことを言われたが、それでも理不尽に怒られるんでしんどかったし他の人には「いや、あなたの言ってることはちゃんとわかりやすく伝わってるよ」と言われ、まぁクソ上司がアホだっただけの話です。

とはいえ、「お前はバカか」的なことを言われまくったこともあるし、理不尽な説教も多かったけど、俺がミスして怒られている、何度も指摘された部分をミスして怒られていることも多々あり、やはり仕事内容自体が向いていなかった、自分の能力と与えられた仕事量が吊りあっていなかったと思います。


あと、このクソ上司以外の人も結構きつかった。入社したてで何も分からないので、現場の人に尋ねても無視やたらい回しが当たり前で、心が折れそうになった。流石に2年働くとなんとか俺が苦手な現場の人とも普通に接することが出来るようになったが、最後まで緊張感は残った。あと、新人教育係件事務所のまとめ役のOさん(仮名)がこれまたキツい人で、人が辞める原因はこの人にもあるんじゃないかと思った。優しい時もあるけど、自分が忙しい時に話しかけると冷たい態度をとられたり、注意したり怒ったりするときに恐ろしく冷酷で、それがとてつもなくプレッシャーだった。クソ上司だけでなく、Oさんからのプレッシャーで腹が痛かった感はある。

現場の人やOさんの態度はつまり、「自分が忙しい時は周りの人を蔑ろにしてもいい」空気がある、ということだったと思う。入社したときからずっとおかしいなと感じていたことを言語化するならそういうことになる。現場の人は、クソ上司があまりに理不尽なので捻くれてしまった、みたいなところもあると思った。

 

そして、クソ上司がやっていることは(被害にあっているのは俺だけではないので)パワハラなわけだし、職場はこいつの王国になっているのだが、これを放置している上層部にも問題があったし、こいつがパワハラで部下を詰めまくる原因はそもそも上層部がこいつを詰めまくっているからであり、それはクソ上司も可愛そうな立場だと思うしあいつはあいつなりに苦しみがあるのは正直よくわかった。トップの人間、ここでは「会長」と呼ぶことにするが(社長よりも権限が強い)この人が悪いと思った。コロナで売り上げはかなり落ちているが、それ以前はめちゃくちゃ稼いできた会社っぽいのだが、それでこの給料、この従業員数でこの仕事量させてんのかよ?という。まぁ詳細は書けないな。

 

 

書くの疲れた。一旦ここで終わろう、後編もあるかも。