9月の太陽

ネガティブなこと考えるときはたいてい睡眠不足。寝ろ。と自分でも思うのだが、音楽に関してやめどきというか退き際というか、そういうものを考えてしまう。まじで何のためにバンドやってんだろうね、もし本当に多くの人に認められたいのならただバンドやるだけじゃなくてそれ相応の行動を起こすべきなのでは?とか。音楽リスナーとしても、もう新しいものに対しては量的にも限界があるだろ。でも多分本質は量じゃない、サウンドプロダクションが変わってしまってついていけない。自分の耳馴染のある音じゃない。ニルヴァーナが現れたときにヘアメタルが古臭いものとなってしまったように、自分が好んでいた音楽は古臭いものとカテゴリされつつある。永野と粉川しの氏の対談(キラーズ編)(リンクあり)に則るなら、ロックの良い所(反骨精神、他ジャンルを取り込む自由さ、若者の代弁者的立ち位置)がヒップホップに奪われ続けて、でも知性や反マッチョイズムは残ってる!ってところに、ケンドリックラマーとフランクオーシャンがロックにトドメを刺したのだろう。

 

田舎の作曲者・演奏者として、自分の思想やバックグラウンドを客に理解してもらおうという気持ちを捨てた。辞めた。想いは決して伝わらない。聴いてくれるだけで万々歳だよ。

 

俺より年上のオジサンバンドに希望をもらうこと、これが自分の青写真だと思うことが多かったが、珍しくネガティブな気持ち(みっともないな、といったような)になってしまった。やはりロックというのはユースカルチャーであるべきなんだろう。

 

満足できるアルバムを作るためにずっと金をためてるが全然貯まらない。飲みに行くな!でも、幸せになるためにバンドをやっているわけだから、辛いんだったら金ためなくてもいいんじゃね?みたいな。ストレス溜めてちゃ意味なくね?みたいな。あーあ。そんなんだからダメなんだ。