はすみおめ

※私はダウ90000『ロマンス』を見ていません。

※私は演劇について何も知りません。

※私は最近のダウ90000をあまり追えていませんし、お笑いへの熱も冷めていっている自覚があります。

 

 

コメ欄を読んで少しだけだが、いろいろと思った。
単純化してしまえば、演劇とは例えコメディであってもメッセージがあるもの、もしくはアート寄りのもので(ここで「歪さ」とか呼ばれているもの)、コント(お笑い)は笑いを最優先に書かれたものなのだろう。

蓮見の戯曲に対する審査員の否定的な意見の内容は過去含めてほぼ一致していて、「テーマ/メッセージがない」(中心のない演劇)で、もしくはアート性(歪さ)がなく、だから「笑え」たとしてもグッと来ない、と言われ続けている。

これに対して蓮見は過去に、メッセージは劇自体には必要なく、俺はダウで演劇をやるために書いていて、見てくれたお客さんが笑って明日もがんばろとか思って帰ってくれればいい、それ自体がメッセージだ(NOT原文ママ)という内容で反論していた。それは一理あるとは思った。おそらく、蓮見のことを賞賛している審査員の方も同じような考えの持ち主なのだろう。

まぁでも、つまり、俺はこれは演劇側の人に「お笑いの文法で書いてるから演劇の賞はあげれない」と言われ続けていると思った。「おもしろいけど、これはお笑いであって演劇じゃないね」、と。で、蓮見は完全にお笑いの人でお笑いの文法で物を書いているので(ダウ90000がお笑いグループかと言われればそうではないが、蓮見翔は完全に芸人だ)それが分からない。先ほどの反論は、お笑い芸人のスタンスそのものだ。メッセージなどいらない、とにかく客が笑ってくれればいい、なんなら明日どんなネタだったか忘れてくれていい、それでも今クソほど笑えたのならそれでいいじゃないか。こういうスタンスを芸人はとりがちだ。

(脱線するが、お笑い側からはABCグランプリで陣内智則に「上質なお芝居を見せてもらった」と評されて蓮見が発狂するみたいな流れも過去にあったんだけどね。それに対するアンサー的コントも書いている(ダウ側はかなりこれに喰らった(ネタにした)のに翌年の審査で陣内さんは全く覚えておらず、まぁそういう人なのだが、陣内さんは何も意識せずナチュラルに誉め言葉で「上質なお芝居」と言ったに過ぎない))。

 

 

閑話休題。「第70回岸田國士戯曲賞の選評を読む」動画内でも、歪なものに感銘を受けてきた/蓮見の戯曲が「観客体験が快適にデザインされている」ことに対する違和、といった審査員の言葉に対して、蓮見は観客体験が快適にデザインされていない=つまらない、だと考えている節があるので発見だった、的に言っているが、これはやはりアートvsお笑いということだろう(たとえ歪だとしても観客がそれに引き込まれているなら観客体験が良くデザインされているってことじゃないのか?という反論は面白かったが)。ちなみにアートとは「問いかけ」のことである。何だかよくわからない、不親切なものを見せられて、見る側がこれは何だと思うか?何を感じるか?考えるか?そういうものを提供するのがアートだと俺は考えている。お笑いはそういうものを排除しがち……だと基本はそう思うけど最近はそうでもないか。というか、俺はニューヨークしかりザ・マミィしかり、まぁキングオブコント決勝に出る人たち、あとAマッソしかり、近年のコントって「笑い」だけじゃなくない?メッセージとかテーマとか、解釈の多様性すなわちアート性とか、ちょっと、あるよね?そこがすげーと思って、お笑い面白いなって思ってたんだけど。で、でも、だ。基本芸人は「笑い」至上主義である。

だから、蓮見は岸田を獲れないんじゃないかとうっすら思っていたが、今回獲ったのは何故か。野田秀樹は言っている。笑いの先に淋しさがあったのだ。その「淋しさ」をもって、テーマもしくはメッセージもしくは問いかけがあったということに致しましょう、ということ。そしてもう一つは、そこまでお笑いでぶっちぎってくるなら、わかったわかった、お前が面白いのはわかってる、もうあげたるわ、ということ。まぁ、はすみおめ。

 

 

 


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