90s drop

・去年の記事を見直していたら、通勤の時ボーズ・オブ・カナダの3rd聴いて、休みの日は昔住んでいたあたりの場所を散歩して感傷に浸る、みたいな感じで今年もまったく同じじゃん!ってなってる。あと、お盆前ってこんな忙しかったっけ。去年の夏の仕事の記憶が無い。

 

・ひと月くらい前だったが、普段の散歩では通らない住宅街を散歩ならぬ散チャリしてきたが変なカーブがあったり本当にやってんのかって思う美容室や居酒屋や喫茶店をたくさん発見出来てグッと来た。たまに「ここは人様の家の庭なのでは…?」みたいな場所に入り込んでしまい焦って引き返したりする。

 

 

・漫画「普通の人でいいのに!」普通に面白かったがこれにわーわー言いたくなる人の気持ちも分からんでもないし俺もわーわー言ったが、面白いと思う。「こういう女いるよな」と謎に憎悪をぶつけている人とかはよくわからんが。

comic-days.com

 

 

https://thesignmagazine.com/sotd/radiohead-oknotok-

田中宗一郎に訊く『OKコンピューター』とその時代。90年代からレディオヘッドが表現してきたもの、その独自性と謎:前編 | The Sign Magazine

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大学生の時、世界情勢を絡めたタナソーの音楽レビューにショックを受けて「ここまで考えて音楽を聴かなきゃならないのか」と具合が悪くなったことがあるけど、今ならある程度わかるな。

 祝日に居酒屋でバカ騒ぎ出来るのは祝日に居酒屋で安い賃金で働いている人達がいるからだし、コンビニに夜中酒買に行くのは~(以下略)、それは自分が働いていてもそんなことが無数にあってそれが地球規模で行われているんだよな、ということです。誰かの何かの犠牲が俺達の幸せを生んでいる、またはその逆という話です。例えばある人が仕事でクレーマーからクレーム言われまくり、そのストレスでプライベートの場では自身がクレーマーになって鬱憤を晴らすみたいな、もうクレームやストレスと言うものが貨幣のようにぐるぐる回る、みたいなね。