ロックミュージックは工業製品なのか、そうあるべきなのか

老害のような嗜好になってしまった自分に嫌気がさすのだが、今現在のいわゆる「ロキノン系」と呼ばれるような、その中でもギターロックと呼ばれるようなバンドに殆どピンと来たことが無い。

国内の、上の世代のロックバンドの影響しかないことが一聴してわかるもの、しかしそのパーツ(影響された部分)の組み合わせ方とクオリティーが非常に高い、みたいなものを聴くと、今僕が10代だったらハマっていただろうな…という想像は出来るけどもおっさんになった今の自分には当然刺さらない。(ロックなんて、音楽なんてそんなもんだろという意見はひとまず置いておかせてほしい)

 

そのジャンルのマーケット対象年齢を超えてしまったというだけ、自分が好きじゃないならそのジャンルから離れればいいじゃん、という話ではあるのだがどうしてもyoutubeで多少はチェックしてしまう。

そこでよく関連動画に出てくるのがポルカドットスティングレイである。

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顔立ちの整った、しかもコスプレも辞さないサービス精神を持つグレッチをぶら下げた女性ボーカル、高速カッティングと滑らかな歪みによるギターソロをドヤ顔でキメるイケメン風お兄さんギタリスト、高速と中速を使い分ける正確な四つ打ちドラム、10代の心をくすぐるであろう「ここ!」というポイントで入るハンドクラップなどなど……そしてとにかくPVのボーカルのあざとすぎる可愛さとPVのエンターテイメント性(サービス性というか)、でもちょっと病んでそうな感じ、椎名林檎を濾過したような、しなやかなボーカルとなんだかんだキャッチーなサビのメロディ……。

 

テキトーに書いてしまったがこんな感じだ。

正直最初は、自分が国内ギターロックに感じている違和感だけをてんこ盛りにしたような、嫌いな部分だけが詰め込まれたバンドのように感じて抗体による拒否反応が起きた。「シンクロシニカ」とかイントロから「やめてやめてやめて!」って感じ。

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別に俺は地〇室〇イ〇スの真似事をしたいわけじゃない。とはいえ、なのだ。俺が80年代の洋楽が嫌い過ぎてPVを見まくってたら好きになってきたのと同様、その短髪おねいさんが歌うキャッチーな歌とドヤ顔おにいさんにどことなくハマってきてしまっていたのだ。あざといPV、でもどうせ男は女性のあざとさが大好きなのである。ハマる、とまではいかなくても別に曲自身はよく出来ていて嫌味を感じない、ただ流してて聴けるという印象に変わっていった。あとは、ロックの中にハードロック文脈がほぼ消えてしまった昨今(どっちかというとHR/HM嫌いなので矛盾するけれど)「ギターヒーロー」って産まれにくいのかなと思っているのであのドヤ顔イケメンお兄さんギタリストはギターヒーローっぽくて応援したいな、という感じ。

 

そう思い始めていたところ、このようなインタビューが投下された。

 ポルカ雫が明かす、「結成して2年でメジャーデビューした秘策」

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ゲーム会社勤めの経験を生かし、いかにユーザーが求めるものを提供していった結果がこれだ、という内容なのだがなかなか衝撃的だった。全てマーケティングによる曲作りだという。「"自分の作りたいもの"を作るのではなく、"お客さんが欲しいもの"を提供し続けないと。だってこれは仕事なのだから。ユーザーが求めるものをリサーチしてから手を動かす。ローンチ後もユーザーの声を入念に調べて、次のバージョンアップに反映する。音楽も同じ方法で作っています」

「内から溢れ出る想いや、自分の体験を曲にのせることはない。みんなが欲しいものを作っているだけ」

 

と言い切るその姿は、そりゃあ、メジャー(仕事)としては200%正しい。正しすぎる。でも僕はその発言に少し冷めてしまった(と同時に、なぜここまでポルカがあざとく、ソフィスケートされていて、このような音楽性であるかということが腑に落ちたともいえる)。

自分は、未だにロックバンドに理想や幻想がある、ということも改めて理解した。「自分たちが好きな音楽をやった結果、それが支持されて売れる」というのはただの純粋無垢な理想論だということはよくわかっているつもりだ。ポップミュージックは商品である。メジャーとは、音楽で食っていくということは、音楽を「売る」ということだし、「売る」ということは客のニーズを調査し、それに答えることだ。

でも少しだけロックバンドというものにその理想論を仮託してしまう。

 

ハイスタやミッシェルガンエレファントやドラゴンアッシュのように、海外の音楽を好きなようにそのまま・もしくは和訳して演ったら時代のニーズにすっぽりハマった、というような時代じゃないことくらいわかってる。そして僕の好きなバンドたちがその理想論だけで成立していないことだってわかる。

どんなバンドも、「リスナーが求めているもの」「大衆性」と、「自分たちがやりたいこと」「実験性」の狭間でもがいてきた。僕が言いたいのは、せめてもがけよ!ということなのだ。(思いつくところを挙げているだけだが)イエモンアジカンストレイテナーもミイラズもテレフォンズもゼペットストアも(チョイスが…笑)、多分きっとU2だろうがオアシスだろうがフーファイターズだろうがストロークスだろうがレディオヘッドだろうが……、そのはざまで揺れ動きながら、それでも自分達らしい音楽を提示し続けているから素晴らしいんだろ?と。

 

そういう意味では「アジカン大好きです!オアシス?ローゼズ?知りません!」と言って出てきて高速四つ打ちやるカナブーンのほうが可愛げがあった。彼らが高速四つ打ちする理由は自分達の(リスナー)感覚としてそれが気持ちいいからだ(多分そういうことを発言したインタビューがどこかにある。探すのはめんどい)

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僕は昨今の(ってもう流行ってないか?)高速四つ打ちは「フェスで客を盛り上げなくてはならないから多くのバンドが多用している」みたいな言説には少しだけ疑問を持っていて、彼らにそんな戦略なんてものはなくただ自分達の感覚においてあのスピードが「気持ちいい」からやっているのだと思っていた。いわば意図的では無くて天然。天然だからこそタチが悪いと思っていた。カナブーンのその、ロックミュージックの世界に無知なだけの純粋無垢な当初のインタビューがそれを象徴していると思ってた。

 

だがポルカドットスティングレイは違った。僕は最初、素で椎名林檎大好き女がグレッチぶら下げて巻き舌で歌っていると思っていた(実際に好きではあるんだろうけど)。「高速四つ打ち」に意図的かはさておいて、彼らの音楽性が全て、若いリスナーが望むものの具現化であり「狙い通り」であったという事実にがっかりしたし、そして腑に落ちたし、そしてある意味こうも考えられる。その商業性、工業製品として振り切った姿が僕を少し「おっ?」と、これ結構良いのか?と振り向かせたのかもしれない、俺はそれをどこか感じ取っていたからPVを見続けているのかもしれない……。

それと、雫さんに「せめて「歌詞や曲は全て私自身の感情や経験から生まれたものです」みたいに身を切るロックバンド演じろよ!とは言わない。今の時代、そこを演じないほうがウケるだろうし。みんなリアル(ドライであろうとも)が知りたいと思うし、ロックバンドに物語や純粋性を求める自分としては、そんなウソをついてまで取り繕って欲しいわけではない(ツイッターでこの話題をしたとき、「取り繕ってほしいのか?」という声もあったので)。

ま、2010年代の国内ギターロックの完成系は初期のKana-boonとこのポルカドットだな、という確信。